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民俗学者・宮本常一の墓 [周防大島]

宮本常一の墓

宮本常一は自分の足で日本中を歩いて、彼が歩いた跡を赤ペンでたどると地図が真っ赤に塗られると言われるほど、日本全国を歩き、調査し、指導し、忘れられた日本を掘り起こした。

後年大学の先生になり、学生に出身地を聞いて、地元の人しか知らないようなことまで答えたという。彼にかかれば日本中知らないところはないといわれた。

宮本常一は1907年に山口県周防大島で生まれた。大阪に出て、逓信講習所から郵便局に勤務しながら、天王寺師範二部で学んだ。卒業後、小学校教師になった。

結核を患って周防大島に帰り、療養中柳田国男の民俗学の雑誌に投稿、認められた。教師に復職し「口承文学」を創刊し、ガリ切り、印刷、配布を一人でこなした。

結婚し長男が生まれた後、教師を辞め、大阪に妻子を残して、渋沢敬三が主宰するアチック・ミューゼアムに入った。1939年。ここから宮本常一の歩く人生が始まる。その中で、離島振興法の制定に奔走し、離島の発展のために力を注いだ。

彼は民具を調査し、捨てられかけていた農具、漁具などの民具を各地で保存した。佐渡が島の八珍柿の栽培を指導、鬼太鼓座に協力、周防猿回しの会復活に協力した。

1980年、周防大島に郷土大学をつくり、その活動は、彼が亡くなった後も彼の意志を引き継いで続けられている。


動画「防長バスが走る旧東和町」


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