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周防大島町名誉町民 星野哲郎先生お別れ会 [周防大島]

星野哲郎先生お別れ会

平成22年11月15日に亡くなった周防大島町名誉町民の作詞家星野哲郎先生のお別れ会が、平成23年2月13日午後1時30分~から周防大島町東和総合センターで行われた。

次第
1 開会(「星野先生とふるさと」VTR上映)
2 主催者あいさつ      椎木 巧(周防大島町長) 
3 詩集「いろはにそらしど」朗読   瀬川 嘉(KRYアナウンサー) 
4 お別れの言葉        二井 関成(山口県知事)
                  柳居 俊学(山口県議会副議長)
                  木元 清人(友人代表)
5 作詞校歌斉唱        城山小学校児童
6 思い出を語る        小西良太郎(音楽プロデューサー)
7「星野先生のメッセージ」VTR上映 
8 親族あいさつ      有近 真澄(長男・(有)紙の舟 代表取締役)
9 親族・関係者 献花
10来場者 献花

大正14年(1925年)9月30日、山口県大島郡森野村和佐(現:周防大島町和佐)生まれ。本名、有近哲郎。

開導小学校、安下庄中学校(現:周防大島高等学校)を経て、子供のころから憧れた高級船員を目指し、清水高等商船学校(現:東京海洋大学)に入学。

昭和21年卒業。日魯漁業(現:ニチロ)のトロール船「第6あけぼの丸」に乗船。2年後、腎臓結核発病、昭和24年山口の日赤病院にて摘出手術。術後の経過が芳しくなく帰郷。以後4年間、闘病生活を送る。徐々に病状が回復してきたころに詩や小説を書きはじめ、子供達を集めて勉強を教えたり同人誌、文芸誌へ投稿したり家庭教師をするなどに生活の活路を見出す。

昭和27年(1952年)、雑誌「平凡」の募集歌に入選。昭和28年(1953年)にデビュー作「チャイナの波止場」(作曲:竹岡信幸・唄:若山彰と初代コロンビア・ローズ)を発表。

昭和30年(1955年)、同人誌「新歌謡界」に「むすめ巡礼」(作曲:下川博省・唄:鈴木三重子)を発表。

昭和32年(1957年)、横浜開校100周年の唄募集で1、2位に当選した「浜っ子マドロス」「みなと踊り」(共に作曲:船村徹・唄:美空ひばり)を発表し、作詞家への道が開けた。同年、船村徹氏に励まされて上京。

昭和33年(1958年)、遠縁で幼なじみの有近朱實と結婚。一男一女に恵まれる。同年、日本コロンビアと専属契約。

昭和39年(1964年)には日本クラウンの創設に参加し専属契約をする。その後、昭和58年(1983年)にフリーとなる。生涯に創作した作品は、4000曲を超え、数々のヒット曲を世に送り出した。

日本音楽著作権協会(JASRAC)会長、日本作詞家協会(JLA)会長などを歴任、功績が称えられ、昭和61年(1986年)に紫綬褒章、昭和63年(1988年)に紺綬褒章、平成12年(2000年)には、勲三等瑞宝章を受章。

この他にもレコード大賞、日本放送協会文化賞や第一回山口県文化特別功労賞を受賞するなど、数多くの賞を受賞し、昭和63年(1988年)には東和町(現:周防大島町)名誉町民となる。

平成22年(2010年)11月15日午前11時47分東京都武蔵野市内の病院にて心不全のため死去。享年85歳。同日、正5位に叙される。

動画「星野哲郎の故郷 周防大島 和佐」

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