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大島郡の農業について [周防大島]

大島郡の農業について 宮本常一

昔の農業はただ働けばよかったが、これからの農業は頭を働かせる農業である。

東和町は島末の庄といい製塩業が職業であり、後には海賊をやって生活をしたもので、その後甘藷が入り反当500貫もできるので食糧事情が好転し、人口は急激に増加した。また、機織が盛んで年間10万反も生産され、周防部の約半分を占めていたから如何に大島郡の機織が盛んであったかがわかる。

明治20年頃油宇では柑橘を作っていたがいつの間にか立ち消え、長崎の林宏太郎さんが弘法市で苗木を求め、現在大島郡各地で栽培されているみかんが山本系の流れである。

明治初期大島郡では養蚕が盛んであり年間の売上げは25万円であった。養蚕でみかんが一時中止されたが、共同飼育、共同販売の精神が養われ、現在の共同撰果、共同出荷体制ができたわけである。このように大島郡人は積極的に社会生活を営んできたのである。

池田首相は農業人口を6割減らすと言っているが、これもすいしなければならない時の流れである。

日本の農産物は外国の農産物より3割方高く、貿易の自由化により苦境に陥ることは事実である。日本の農業は保護政策によってさえ第二次、第三次産業とくらべると所得の格差は相当あり、保護政策がなくなったらどうにもならなくなる。そこで政府は農業基本法を制定して、農業経営基盤の拡大、生産物の計画化、専業化、協業化の推進により農業所得の上昇を計ろうとしている。この農業基本法はドイツをまねたものであるが、これで他産業との所得格差は解消されることだろう。

東和町の農業所得は10年後には100万円にしなければならないが、このためには先ず農協を統合して強固なものとし、農家にどんどん資本を注入できるようにしなければならない。また農業人も高度の知識と理解力を持たなければいけない。

日本経済は外国の経済状況に左右されたが、経済力の伸長した今は国内消費が旺盛になったため安定した。現在日本商品は米国、アフリカ方面へ輸出されているが、これはあまり伸出する可能性が少ないので、中共、ソ連と手を結ばぬといっているが、いずれそのうちにはそういかなくなる。赤とか黒とかいっている時ではない。思想に敗けるような日本人ではない。

東和町の農家は100万円所得にならなければいけないが、江戸時代は江戸、大阪よりも日本一の人口増加を示した子作りの上手な島民である。増やすことが上手でなければなんにもできない。

老人は若い者に従い、若い者はもっと視野を広げて、何事につけても積極的にやってゆくようにすべきである。視野を広げ見識を高めるためには視察が一番で、できるだけ視察すべきである。そして一日も早く四ケタ農業になっていただきたい。
(昭和36年3月1日東和広報より)

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